2009年03月17日

要介護度の受け止め方

複雑ですよ(笑)

言葉ひとつの違いで
法の解釈が間違うので
注意しないといけませんが

同業者の方は
多めに見てくださいね

そうでない方は
興味本位でご覧ください

より詳しくというのであれば
個別に対応しますので(笑)

さて

要介護度にまつわるお話させてください(笑)


この「要介護度」って

シンプルに説明すると


介護サービスを利用する際には

必ず
誰でも必要になります

介護が必要な手間(時間)を調査や
主治医の意見をコンピューター、
有識者による審査会を経て

要支援1
要支援2
要介護1
要介護2
要介護3
要介護4
要介護5

と7段階に分けるんですね
(非該当もあります)

人それぞれ、状況も環境も様々な要因が違うのですが

介護がどれくらい必要なのか

これで認定されるという訳です。


この認定によって

悲喜こもごも起こるわけです

なぜかって?

段階によって保険の限度額が違うのです

例えば、要介護度が上がった場合

要介護1の方が
要介護2になると
それだけ介護の手が前回より必要になっていると判断される訳です

心情的には悪くなった

となりますが、
利用できるサービスの回数や選択肢は
増やせることになります

逆に
要介護度が下がった場合

要介護3だった方が前者と同じ
要介護2になると
介護の手が少し、いらなくなったいう認定ですから
心情的には
良くなった
といえます

が、実際はそんな単純な話ではありません。

使っていたサービスを制限する必要がでてくるんです

制限しないと支出、お金の負担が大きくなるんです。

なので、
支出を抑えたい
利用する方からすれば

良くなったという評価は要介護度が低くなるコト
=使っていたサービスが利用できなくなる(これが当然ではありますが)

悪くなったという評価は要介護度が高くなること
=サービスを増やして介護の手を厚くする(もちろん当然)

人それぞれの受け止め方になりますね

前者のケースのように
単純に良くなったと喜べない方も
多く存在します

後者はとくに支障ありません

介護サービスに依存する、しない
このバランス感覚が気の持ちようを変えるんでしょうね

いろんなケースがあります(笑)

それぞれへの介入、

ケアマネジメント
頭が痛いです




ブログ村参加してます
にほんブログ村 介護ブログ 介護職へ





同じカテゴリー(ケアマネのオシゴト)の記事
5年前
5年前(2014-08-04 23:40)

更新研修Ⅱ
更新研修Ⅱ(2011-01-21 07:44)

更新研修
更新研修(2010-12-11 07:17)


Posted by ケアワーカーヒカル at 23:26│Comments(2)ケアマネのオシゴト
この記事へのコメント
なるほどですね・・・
学生時代、名古屋のサウナでマッサージのバイトしてた時に、毎日欠かさずサウナに来ているお客さんがいました。入場料は2000円近くもするのに、あのおばさんはどうして毎日欠かさず来るんだろう、と疑問に思っていたら、同僚スタッフが教えてくれました。「あの人、生活保護を受けてるんだよ。」と。

生活保護って、お金がもらえるのでしょうか・・・?よくわかりませんでしたが、身体的に不自由は無くて、ちょっと目つきが悪くてズルそうな感じの人で(笑)

この方がもし生活保護解除になったら、ヒカルさんが言うところの「良くなった」ではなく、「今までのサービスを受けられなくなった」と思うのでしょうね。

これはサービスに依存してるから後者になるんでしょうか、それともそんな単純では無いのでしょうか・・・
Posted by レフティレフティ at 2009年03月19日 09:28
レフティさんへ

コメントありがとうございます♪

何かの本で
「人は依存する動物である」
と偉い学者さんが

おっしゃっておりました(笑)

確かに、一人では世の中
生きていけませんからね

しかし、現実問題として
今の現状が居心地良くて
本来、自身がなすべきこと
できる努力を怠ってしまっていた

ということもあるのではないでしょうか
あくまで私、個人の意見ですがね。

がんばって、がんばって

精一杯生きているかたに
「もっと頑張って」とは言いにくいものです。

しかし、「こんな頑張り方があるよ」
と選択肢を提案することも
アリなのかなとも
思います。

で、話は戻りますが

生活保護の方は生活扶助といって
生活費を月にいくらと決まった額を
頂いて生活していると
聞いたことがあります。

その中でのやりくりでしょうが、

生活保護を受けている方に
よく批判的なコトを聞くこともありますが

いろいろな制限を受けている現実が
あるはずなので、

「人として生きていくための
最低限の暮らし」

これをどう受け止めるか
単純ではないでしょうね

ただ、いま言えるのは
すくなくとも
私は非常に恵まれているという
コトは言えます。

目の前にあるすべてのものに感謝ですよね
「家がある」
「家族がいる」
「三度のご飯が食べられる」

そして
「命がある」
Posted by ケアワーカーヒカルケアワーカーヒカル at 2009年03月21日 00:28
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。